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放送記者
聖心女子大学 文学部
日本放送協会 報道局 社会部 記者
上田 真理子 (うえだ まりこ)氏

2006年09月東進タイムズ掲載

いま起こっている事件の本質を見抜き、人間のナマの声を伝える放送記者は足と頭と心を使い、社会に尽くす仕事

裁判所は現代人の駆け込み寺

 「放送記者」と聞いてもあまりピンとこない人もいるかもしれませんが、基本的には新聞記者と同じで、事件や事故の現場に行って取材をし、原稿を書くことが仕事です。情報を伝える媒体が、新聞記者は紙であるのに対して、放送記者のそれは映像であるというのが違いでしょうか。総理大臣官邸で、首相が多くの放送記者や新聞記者に囲まれて取材を受けているニュース映像は、皆さんも一度はご覧になったことがあると思います。

 現在は報道局社会部の司法記者クラブで、主に裁判の取材を担当しています。最近では、世間を騒がせた耐震偽装事件や証券取引法違反事件から、原爆症補償の裁判や飲酒運転事故の裁判まで、刑事・民事を問わず取材対象は多種多様です。

 取材といっても、裁判所に行って傍聴するだけが仕事ではありません。取材の準備には、多くの時間とエネルギーが必要になります。

 例えば、血液製剤の投与が原因で、C型肝炎ウィルスに感染してしまった人たちの裁判を取材する際は、原告団の人たちと同じくらいの医療知識がないと事件の真相に迫ることができません。そのため、大学教授や弁護士などの専門家に話を聞き、相当な量の情報収集と勉強をしましたね。

 当然のことですが、どの裁判一つをとっても、被告・原告などの当事者の方たちは、その裁判に一生をかけて戦っています。一つひとつの裁判に人間ドラマがありますし、裁判所は現代人の駆け込み寺のような存在だと感じています。取材記者とはいえ、中途半端な気持ちで臨んだら失礼に当たりますので、どの取材も本気で挑んでいます。

小6の頃、初めて手にしたベルリンの壁の重み

 記者という仕事に漠然と憧れを持ち始めたのが、小学校6年生の頃だったと思います。ちょうど東西ドイツを分断していたベルリンの壁が崩壊したときで、その映像に大きな衝撃を受けたのがきっかけでした。ニュースの内容はほとんど理解していませんでしたが、ハンマーで壁を壊し、その上に立って歓喜の声を上げている群衆の映像を観たときに、何かわからないけれど大変なことが起こっていると感じました。その迫力ある映像に圧倒されたという、強烈な記憶が残っています。

 そのニュースを観た少しあとでしたが、本物のベルリンの壁と対面をするチャンスがありました!

 友人の父親がテレビ局の記者で、ベルリンの壁が崩壊した瞬間を取材していたそうで、日本に持ち帰った壁の破片を、偶然私に見せてくれたんです。

 そのとき、テレビのニュースを観たときの衝撃が甦り、言葉では表現できないくらいに感動しました。記者になったら、そんな歴史的な瞬間に立ち会えるのだと思い「将来は私も記者になりたい!」と意識し始めたんです。

真実を知るために、BSE発生農家に通いつめた2週間

 そうはいっても、記者になったからといって、すぐに歴史的瞬間に立ち会えることはありませんでしたよ(笑)。入局してすぐに北海道の旭川放送局に赴任して、最初は警察担当として事件や事故の取材に当たりました。毎日、警察署の記者クラブに通い詰めて取材を続けるという、地道なスタートです。

 そんな旭川局時代の2年目に起こったのが、BSE問題でした。日本で最初にBSE感染牛が発見されたのは、ニューヨーク同時多発テロが起こった時期と重なっていたので、それほど大きくニュースで取り上げられませんでした。しかし、2頭目が発見されたときには、「もしかしたら日本中にBSEが蔓延しているのかもしれない」という疑惑が世間に浮上し、報道各社が一斉に取材し始めたんです。

 偶然にも、2頭目のBSE感染牛が発見された牧場が、私が担当するエリアにありました。私自身があまり状況を把握していないままでしたが、とにかくその牧場へ直行しました。稚内に程近い牧場に到着した頃には、すでに多くの他社の記者やカメラマンが集まっていて、騒然とした雰囲気に包まれていたことを覚えています。

 当時のマスコミの多くは、「おかしな餌を与えた牧場主に責任がある」「ほかにも感染牛がいるんじゃないか」という、牧場主に対して攻撃的な報道傾向が強くありました。根拠のない報道に怒った牧場主が記者に怒りをぶつけ、一触即発の場面は一度や二度だけではありませんでしたね。

 日が経つにつれて、1社、2社と報道陣が次々に撤退していく中、私は何とか話を聞きたい一心で牧場に通い詰めました。2週間を過ぎたある日、そんな私の姿を見て牧場主が声をかけてきてくれたんです。「何がそんなに聞きたいんだ」。その一言が取材の始まりになり、報道各社の中で最初にインタビューに成功することができたんです。

 この事件で最もショックを受けていたのは、まじめに牛を育てていた牧場主でした。それなら取材を拒否せず、ありのままを伝えるべきだと思い、テレビを使って国民に事実を訴えるべきだと牧場主の方を説得しました。すると牧場主から、おかしな餌は与えていないし、まじめに牛を育てていたのにBSE感染牛が発生したことや、報道各社や消費者からのバッシングなど、じっくりと具体的に話を聞くことができました。そのうちに、BSE問題の本質は牧場主を責めることではなく、ほかのところにあるのではないかと感じ始めたんです。

 そして、BSE発生農家では初めてのインタビューに実名で応じてくれたことで、世論が動き始め、結果的には政府がBSEの原因追及や農家への保障制度に着手 し始めました。

 その取材を通じて感じたことは、表面だけの報道に陥ることなく記者としての仕事をまっとうすることで、困っている人の声を伝えられるということ。もちろん私一人だけの力ではなく、制作スタッフのチームプレイの賜物ですけどね。私にも記者という仕事を通じて一人でも多く、困っている人の声を伝えることができる。放送記者としての存在意義は、そこにあるのではないかと感じ始めた印象的な事件でした。

放送記者として人として、生きた人間のドラマを伝えたい

 放送記者としては、「特ダネ」と呼ばれる情報を掴むことも重要ですが、私はどちらかというと、じっくりと取材を重ねていくほうが得意かもしれません。

 日々の取材を通して、さらに掘り下げて調べたいテーマがあれば、報道番組で特集をすることも可能です。私が取材をした報道番組では、自衛隊のイラク派遣問題について特集を組みました。実際に派遣される予定の、年齢も性別も異なる自衛隊員3人に対して、家族やその周辺を含めて約半年間に及ぶ密着取材を敢行したんです。

 自衛隊のイラク派遣には「国際社会の一員としての国際貢献」という、政府が示した大義名分がある。その反面、実際に派遣される隊員を取材すると、一人ひとりに人間くさいドラマがあり、社会倫理を超えた人間の絆を垣間見ることができました。

 取材をした3人のうち年配の男性隊員は、任地で命を落とす可能性も見据えて、妻に遺書を残しました。20代の女性隊員は、実にあっけらかんとしていましたが、故郷に住む両親の心配の声は聞くに堪えませんでした。

 国が出した決断の陰には、当事者である自衛隊員だけでなくそれぞれの家族にドラマがあり、いろいろな思いを抱えているということを、番組を通じて伝えられたと思っています。

 私はニュースや報道を通じて、遠い議論ではなく身近で起きている人間のドラマを伝えていきたいと思っています。そして私の仕事を通じて困っている人や、伝えたいのに伝えられない人の声を少しでもすくい上げていきたい、というのが今後の目標ですね。

※文中敬称略。所属・役職等は取材当時のものです。

	
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