「見出しの立たない企画は記事にならない」
アエラ編集部で編集部員として活躍する大波綾は、尾木のこの言葉をいつも心に留めている。記事の冒頭におかれる見出しは、内容を要約したものであると同時に、読者の興味をそそるものでなければならない。企画のコンセプトを凝縮した言葉であるのだ。
それだけに、毎週月曜日に開かれる企画会議では、編集部員の間で侃侃諤諤の議論となる。「つまらない」「見出しが弱い」と却下されることもしばしばあるという。
「けっこう白熱しますね」と大波は笑うが、それは尾木をはじめとする編集部員たちとの堅固な信頼関係があるからだ。
大波がアエラ編集部に異動になったのは2007年のことだが、記者・編集者としてのキャリアは10年以上になる。以前は尾木とともに『週刊朝日』編集部に在籍していたこともある。
その頃は、駆け出しの20代で苦労も多かった。書きあげた原稿を真っ赤になるまで添削されたあげく、ごみ箱に捨てられたこともある。あるいは取材先で怒声を浴びたこともある。
それは、ある著名人が自伝を出版したときのインタビューだった。本にはスキャンダラスな内容が含まれ、大波に求められたのは、本人からその核心部分を聞き出すことだった。しかし、本人はスキャンダルに触れたがらない。大波もうまく問いかけることができない。あげく「あなたの質問の意味がわからない!」と怒らせてしまったのだった。
インタビューの難しさは、現在でも日々実感している。なぜなら「聴く力」こそが、仕事を進めるうえで最も重要なスキルだと考えるからだ。
「もし原稿が下手でも、上司の助けを借りれば読める文章に変わることは可能ですが、まず相手から話を聞き出していなければ、材料そのものがありません。相手が何を欲しているかを知るという意味では、記者・編集者に限らずどんな仕事でも、聴く力が基本だと思っています」
これまでで印象に残った取材を尋ねてみると、大波は斎藤佑樹の名前を挙げた。高校時代「ハンカチ王子」の愛称で親しまれ、2011年度より、北海道日本ハムファイターズに入団した投手だ。大波は新聞記者時代、彼がまだそれほど脚光を浴びていなかった春の選抜大会のときに担当となった。以来、夏の甲子園大会で田中将大(現・東北楽天ゴールデンイーグルス)との死闘を制して優勝するまで、大波は斎藤を見つめ続けてきた。
とりわけ大波が目を引かれたのは、斎藤をはじめとする早実ナインの成長ぶりだった。
「わずか数カ月の間で、彼らの顔つきがどんどん大人っぽくなっていきました。自信をつけていく様子が、ありありと見えたんです」
37年ぶりの引き分け再試合にまでもつれた決勝戦も、大波は記者席で目の当たりにした。日本中が沸いた瞬間に間近で接するという機会は、記者といえどもなかなか体験できるものではない。その「めぐりあわせ」がもたらしてくれた感動を、大波は今も忘れない。
取材を通して多くの著名人に出会うことができるのは、記者・編集者という仕事ならではの特権だ。それが仕事のやりがいにつながっているように見えるが、大波からは意外な答えが返ってきた。
「一番元気が出るのは、『アエラ』が毎週、店頭に並んでいるのを見かけるときですね」
『週刊朝日』の表紙を担当していたとき、アートディレクターをはじめ、カメラマンやスタイリストなど、多くのプロフェッショナルが力を結集している姿を見た。出版営業、週刊誌記者、編集者とキャリアを重ねてきた大波は、一冊の雑誌が、多種多様な人々の手を介して出来あがっていることを実感している。
斎藤投手との出会いは、これまでの記者・編集者生活でのベスト3に入るほどの体験ではあった。だがそれは一生に何度も起こることではない。さまざまな雑誌が山ほど出版されている中で、毎週、きちんと書店や駅で販売されていることこそが「奇跡」だと、大波は感じている。その「奇跡」を毎週実現させるために、大波は日々取材に奔走しているのだ。