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プロ野球選手
早稲田大学 教育学部教育学科
千葉ロッテマリーンズ 投手
小宮山 悟 (こみやま さとる)氏

2006年07月東進タイムズ掲載

マウンドを降りるその日まで1年でも長く投げ続けたい

毎試合のようにブルペンに入り中継ぎ投手としてチームに貢献

 プロ野球の投手には、試合の最初から登板する「先発」、途中から登板する「中継ぎ」「抑え」といった役割があります。先発投手は長いイニング数を投げるので、5~6日ほどの休養をとって登板します。中継ぎや抑えと呼ばれる救援投手は、試合展開によって登板したりしなかったりするので、毎試合のようにブルペン(投球練習場)に入り、肩を慣らして準備する必要があります。僕はここ2~3年、中継ぎ投手として試合の中盤に投げる機会が多いですね。先発投手が早い回に崩れたときに登板する、いわゆる敗戦処理の役割をすることも増えています。そんな生活が、公式戦の行われる3月から10月まで続きます。

 僕は今年で41歳になり、パ・リーグでは最年長投手になりますから、野球選手の中でも大ベテランの域に入ります。40歳を超えて思うのですが、きちんと体をメンテナンスできれば、まだまだ投げられる自信はあります。実際、村田兆治さん(千葉ロッテマリーンズOB)のように、現役を退いて50歳を過ぎても、140キロ近いボールを投げられる方もいますし。ただ、プロは年功序列制ではなく結果がすべて。球団に「いらない」と言われれば終わりです。年齢的にも、自分の中で「もうそろそろかな」と感じる瞬間は常について回るし、そう判断したら自分からマウンドを降りることもあるでしょう。でも今は1年でも長く投げたいと思っているし、そのための工夫を常に続けているつもりです

偶然から始まった野球人生

 野球を始めたのは、まったくの偶然からでした。病弱だった兄に何かスポーツをやらせようと、父がグローブとボールを買い与えたときに、ついでに弟の僕にも買ってくれたことがきっかけです。もし、父が野球道具以外のものを兄に与えていたら、僕は野球をやっていなかったかもしれませんね。幸い父が野球好きだったことで、教わっているうちにボールを投げることが楽しくなって。毎日のようにボールを投げていたせいか、小さい頃から打つより投げるほうが好きで、そのまま投手になりました。

 ただ、中学・高校では、まだ「エース」と呼ばれる存在ではありませんでした。練習がキツイと思ったらやめてしまう、つらいことが嫌いな子どもでしたから、いるのかいないのかわからない部員でしたね。ただ、自分で言うのもなんですが、野球自体は上手かったので、周りからは「もっと真面目に練習すればいいのに……」という目で見られていたようです。

 高校時代は、多くの高校球児と同じように野球漬けの日々でしたね。もちろん甲子園に出場したいと思っていたし、それを目指して真剣に練習していました。でも、現実問題として、甲子園には縁のないチームだったので、強豪校に比べれば練習量も少なかったかもしれないし、どこかに諦めの気持ちもあったと思います。とりあえず「好きだからやろう」というのが、野球に打ち込んだ動機でした。正直なところ、勉強との両立は苦手だったのであまり成績は良くなかったですね(笑)。いつも定期テストは追試を受けるなど学校の先生の善処を受けていました。

■2度の受験失敗で味わった挫折

 早稲田大学を目指すことにしたのは高校2年のときです。六大学野球の早慶戦(早稲田大学と慶應義塾大学の試合。慶早戦とも呼ばれる)をテレビで観て、「オレもこの舞台で野球をやりたい」と夢を持ったのがきっかけでした。早稲田に入学するには、もちろん入試という壁がありますが「まあなんとかなるだろう」というぐらいにしか考えていなかった(笑)。本当に当時の僕は世の中をなめていたと思います。

 もう合格するものだと思ってスケジュールも組んでいたんですが、案の定失敗して、「人生そんなに甘くない」ということを痛感しましてね。初めて味わった挫折でした。でも、そんなにショックを受けるでもなく、合格発表のあとすぐに予備校のパンフレットを家に持って帰り、浪人して早稲田を目指すことにしました。進学するだけなら他に道もあったんですが、大学生になることが目的ではなく「名門の早稲田で野球をしたい」ということしか頭になかったんです。

 予備校に通って、真剣に勉強したかというと、真剣に頑張っている他の受験生に比べたら、そうではありませんでした。先ほども言ったように、世の中をなめていた部分がありますから、まだなんとかなると思っていた。果たして、1年後の受験はまた失敗です。それで2年目の浪人生活がスタートしたわけですが、妥協してほかの大学に行くのは嫌で、入試ギリギリの段階でようやく猛勉強を始めたんです。今までの遅れを取り戻そうと、平均の睡眠時間が1~2時間ぐらいだった時期もありましたよ。そうしてようやく、早稲田大学合格を手にしました。

「小宮山ってまだいたの?」そう思われているほうがいい

 大学では運よく、すぐにレギュラーになることができたし、夢だった早慶戦でも投げることができました。2浪していたのでブランクはありましたが、いくらでもストライクが投げられる自信はありました。普通は上級生を相手に投げたりすると、ビクビクしてストライクが入らない人が多いんですが、僕はそういう神経は持ち合わせていなかった(笑)。

 高校までと比べて練習はしんどかったですが、早稲田で野球をすることが夢だったので、苦しいとは感じなかったですね。あの大学での経験が僕のプロ生活の基盤になっています。心から尊敬している石井連蔵監督には、今でも年に数回お会いして助言をもらっているんですよ。

 僕の今のポジションは、モチベーションを保つのがつらい面もありますが、これまで、40歳過ぎて現役を続けられた投手は野球界に多くいません。そう考えると、どこまで自分が続けられるか試すのもおもしろいと思っています。まあ、地味な役割ですから「小宮山ってまだいたの?」と思われているほうが、僕としてはありがたい。もう前面に立ってチームを引っ張る存在ではありませんから。チームメイトには、清水(直行投手)や里崎(智也捕手)など前面に出たくてしょうがないタイプの奴らがいますから、その役目は若い彼らに任せて、これからもチームを陰で支えられるように、投げ続けたいと思います。

※文中敬称略。所属・役職等は取材当時のものです。
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